昭和50年02月22日 古屋光雄3年祭



 古屋さんがお隠れになって、もう早や3年になります。本当に後に残ったお母さんも、又丁度学業中の僕の場合も、一番修行中だったですからね、まあ本当にこの3年祭はそういう、修行の中に仕えられたような感じがします。
 それでも、本当にあの、矢張りお徳を受けておられると思う事は、今朝からの、あのご理解の中にも、最高の人格というのは、神様のみ教えに従順である事、従うた生き方をする事をもって、最高の人格と。普通で言う例えば、教養とかと言ったようなもので出来る人格ではなくて、どこまでも神様の前に従順な生き方を、するものをもって第一の人格と云う事を頂いたんですけども。
 古屋さんの場合は、確かにそう云うところが在った様に思うですね。その為に矢張りちょっと、まあ融通がきかんとか、変人とかと云う様なところが見えましたけれども。矢張り信心をしておるからこんな事じゃいかん、そん、と言った様なところを、こう一つ毅然としたものを持っておられたように思うんです。
 私、ここ丁度3日ばかり、あのもう丁度20年ぶりに足の、あの座りダコが化膿しましてね、座られんとです、だからこの横座りして。ところがあの、本当にあの神様のご都合というのはまあ有り難いと思うんですけれども。何かむつやに、その大きな足袋が入ったんだそうです。12文、こんな大きな(笑)がぶかぶかの足袋なんですよ。
 ところが腫れてるからね、もう痛くて普通の私のでは入らんのです。そしたら丁度あの、そのむつやから、末永さんが大きいから良かろうとと言うてから末永さんでも大き過ぎるからと頂いたまま、あの取っておいたのが、その2足あったというんで、公子さん持って来てくれたから、おかげで色々考えてみる時に、この頃から親先生のあの告別式5日間の間あたりに。
 ( ? )付て5日間通いましたけれど、あの時分にこんな格好が、こんな格好じゃとても行けなかったんだけれどね。丁度それも済み是も終わってそしてしかもそれならそう言う風に、今までの足袋では間に合わないという所に、あのもうちゃんとあの同じ屋根の下にそういう足袋が2足も揃って来ておったということなんか、惟とてもちょっとあてらえたって出来ないんですよね、こんな大きな足袋。どうした事か分からんのですけども、まあ今日の為に神様がお誂え下さった。
 今日のお祭りはね古屋さん、そんな感じがするんです。ぴったりとしたもんじゃなかったんです。けれども、神様のご都合お繰り合わせというものは、それこそ今日は足が痛い、どうしようか、足袋も履かない訳にいけんのだけれども、いやここにこの12文のここに足袋がありますよと言われて、はあ丁度お繰り合わせを頂いて良かったと言う様な、お祭りだったと思うですね。
 私は今朝からもその事を、昨日からしきりに私は思った事は、私が椛目時代に、四年半、人がどんどん助かる様になって四年半というものは、もう今から考えてみるとあれは、もうお試しかの四年半だったと思うんですね。もう本当にお試しの四年、何時も私があの申します様に、もう頂くと言ったらもう一切を頂いたんですよね。
 皆さんもご承知の様に、病人を預かってくれ、その病人は棒にも箸にも掛らん様な病人を預かってくれ、そして子供たちが寄り付かん、親たちが寄り付かんと言った様な、家では十人位もうそれこそ、今にも引き取らせて貰わにゃならん様な病人が、椛目のお広前に一杯でしたよね。
 かというと今度は、あのお金を借りに来る人、貰いに来る人。もう私はその度にお賽銭箱ひっくり返して、貸せるものは貸す、あるもんなら与えると言ったような、今から考えてみると、まあむちゃくちゃな事でしたけれども、もう頂く一切を受けるということに、神様にお誓いした以上はもう受けるもう心も身も受ける事に決まっとったから、さ程に、難しい事とは思わなかった。
 そして四年半経って、もう言うならば、是でもかこれでもかというのだろうけども、こちらがそれをすっきりと受ける、気持ちがあるもんですからね、あと半年で5年の記念祭を迎えなければならんというちょうど半年前に、此からは例えばあの、ほうれん草のお知らせを頂いて、今までは赤い枯葉も付いておった、ひげも付いておった、少しは泥も付いとるな所があっても、頂くと言ったらもうじゃきじゃきいう様な物でも、頂きよった。
 もうそれこそ体に障る様な枯葉でも頂きよった。それを是からはもうあの根を例えば切るなり、髭はむしるなり赤い葉は取るなり、綺麗に水で清めて滋養になる、美味しい所だけを頂く事をもって、成り行きを大切にして行く事だというお知らせを頂いたのが、ちょうど四年半過ぎてからです。
 だから、そういう意味でですね、今私はお父さんが亡くなられた、そして3年間まだ何時まで続くか分からんけれどもね、私はお試しの時代だと思うんですよ、うん。だからそのお試しにね、落第してはならない、もうどう言う様な難儀な問題でも困った事であっても、それを信心によってお取次ぎを頂いて、おかげを頂き抜くんだというね、私はあの是がなされなきゃならない。
 例えて言うならば、なら神様のそれこそ御霊様のお徳。私があのお隠れになった時に、神様にお届けさせて頂いて、おくり名に頂いたのが、古屋光雄しほたて彦の尊と頂いたんですよ、実は。あん時お話ししたですかね、しほたて彦の、普通は霊神とこう言うんですけども、の尊と言う事は、もうすでにかすかな神格を受けておられた様な感じがするんですね。
 言うなら今申しますように、ある意味においての人格者であった。人から言うのじゃない、信心でいう人格者であった。それが人格が神格に変って行くおかげをいよいよ頂かれておられる印にです。例えて言うと、足が痛んで座られんと言った様な時に、丁度それが準備してあったように、それはぶかぶかでおかしいんですけれどね。けども間に合うておった、と言った様な、今日のお祭りの様子から考えて、そう思うです。
 さあ次に5年祭があり10年祭がある頃には、もう愈々まこと君も言うならば、愈々一人前。恐らくは10年祭でも仕える時には、奥さんも貰い子供までおると言った様なおかげじゃなかろうかと思うんですよね。その頃には本当に成程、年々歳々お祭りがにぎやこうなって、有り難うなっていくと言う様なお祭りに成長していく事の為にね、信心の成長を願わなければいけない。
 現在は、言うならばお試しの時代だと、私は頂かなければいけないと思うんです。そしてそれならさあ、私の場合四年半のそのお試しの時代が過ぎた時に、お試しだったとはっきり思われる事は、それ以来病人を預かってくれの、金を貸してくれの、金をくれのと言ってきた者が一人もなかったでしょうが。お広前で修行したいというのは、お道の教師を目指す者でなからなければ、例えば、入ってこなかったでしょうが。もうそれこそもう、もうすっきりした事でした。
 いかに四年半がお試しであったかと分かるんです。だから古屋さんあたりも、4年が5年それはどうか分かりません、お試しというのは、いつ切れるか分かりませんけれども、そのお試しそのそれをね、私はそのお試しとは思ってなかったです実際は。ただもう一切私の周辺に起きてくる全ての事をもう合掌して受ける、この修行に取り組ませて頂いておったから、今考えてみると、あの四年半こそが、お試しの時代であったと思うんです。
 昨日はあの、竹内の、お爺ちゃんの帰幽日でしたから、あちらからお供え物やら、あのみんな持って来て拝ませて頂いたのは、結局、正教君と恵美子さんと二人でしたけども。あのう例えばその時私が頂いたのがね、あの「精進日」ということを頂いた。例えば帰幽日、仏教では、今日はお爺ちゃんの日だから、朝から生くさいものを取ってはならない。例えば、おつゆの中にいりこでも入れませんでしたよね、私ども子供の時分には皆そうでしたよ。
 今日は誰々さんのお立ち日だからというて、生くさけなんか食べませんでしたよ。それが精進なんです。ならお道の信心では、いりこ食べんとか魚食べんということではないです。私は本当に、精進するということです。それをね私は、お帰幽日のその月に一回なら、月に一回の帰幽日ぐらいに、私の信心がです、果たしてそのお試しの時代に、お試しを果たして見事に受け、答えていっておる自分かどうかと言った様な事を反省して、その反省の芯にしていくくらいな精進は、なされなければいけないと私は思うですね。
 どうぞそしてもうそれこそ、いよいよ孫子、家繁盛、子孫繁盛を願われる金光様、また天地の親神様のご神意に沿い奉るおかげを頂いて、言うならばお祭りもまた一段とです、もうそれこそ、子やら孫やらで賑う様なお祭りに、私はおかげを頂いていく、願いを持たなければいけない、いよいよ家繁盛のおかげを頂かなければいけないと思うですね。
   どうぞ。